旦那あてにお歳暮がたくさん届きました。本人は興味がなさそうですが、周りに利益を提供できる人なので「これからもよろしくお願いします」という人がたくさん彼に愛想を振りまいたり贈り物をくれるのです。彼からは一切お歳暮は送っていないのに、です。
で、実際喜んで食べているのは何もしていない私です。最近のお昼ごはんは煎餅と焼き海苔。ワイルドにそのままボリボリ食ってます。上質でうまい。食費が浮くぜー。
結婚する前は持て余して人にあげていたようです。そうするとさらに喜ばれまた供物をもらい、そしてやはり本人は興味がないので人に与えて循環していく。
彼のように自然と価値を提供できる人のもとにはどんどんカネやモノが寄ってくるのです。そして余るのです。それをまた分け与えてどんどん利益が増していき、やはり余り、それを繰り返していく。一方私のようになんの価値も提供できない人のもとには何も来ません(笑) せいぜい中古品の物々交換ぐらい。 これが格差社会ってやつでしょうか。
持て余す彼にぶら下がり何も返さず生きています。というか、してもらった分の何かを「返せ」と言われないことに感動しています。よくそんな目に遭ってきたからです。とくに精神の充足を求められると終わりがなく、底なしの善意の借金を背負った気分でげんなりします。
しかし今考えると彼のように豊かな人は本当にごく一部で、みんな精神的にも経済的にも必死ゆえに奪い合わずにはいられないのかもしれません。私も「返せ」と言われるぐらいには何かを奪ってきたのだろうし(私からすれば「いや、本当にいいのか確認したじゃん」ってかんじですが)。
ノブレス・オブリージュ
日本にはノブレス・オブリージュの精神をもつ金持ちが減った、と言うけれど、そういう人はみんなバブル崩壊で死んでしまって、今生き残っている人だって明日はわからないことをあのとき経験したわけだし、そうなると「カネがある=余裕がある」という図式自体がなくなってしまっているのかなと思います。旦那だって私というびっくりするぐらい生産性のない穀潰しと結婚した分、ほかの人に配れるお菓子はなくなったわけです。
私も偶然彼に保護されただけで、自分が誰かに価値を与えるまでになれる素質はハッキリ言ってないと思います。彼がいなくなった場合の余生に向けて自分の対策をすることで精一杯です。人に「返せ」なんてケチくさいことを言わないためにも、何かを与えることはできません。せいぜい自分じゃ他人を救えないことを自覚して生きていくぐらいです。基本的には他人に期待しない方が生きやすい世の中だと思います。